一般社団法人 全国個人事業主支援協会

COLUMN コラム

こんばんわ。松山です。

前回は自分のシステムエンジニアの原点についてお話しました。

https://kojinjigyou.org/2019/06/29/%e5%8e%9f%e7%82%b9%e3%81%afcobol/

今回は、そこからフリーランスに至るまでをお話していこうと思います。

7年間同じ会社で学んでいき、このままCOBOLで食べていくことになるのかなと思ってました。しかし、当時のIT業界ではJAVAが徐々に増え始め、汎用機の開発は減っていくと噂が飛び交っていました。その時、自分は「っとは言っても大丈夫だろう」と思っていたのが本音です(笑)今思うと、その自信はどこから来たのかという感じですよね。
半年ほどそんな感じで悶々とし、ふと我に返って「成長していかないことで時代に取り残されることの方が怖い!」と思い、次も決まってない状態でしたが7年お世話になった会社を退職しました。その後、ウェブ系を学べる会社と出会いそちらに入社。

 

が・・・それが地獄の始まりでした・・・

 

入った現場は開発ではなく基本設計をやっていく現場で、既に大炎上。徹夜は当たり前、毎月20人以上が入れ替わり、失踪者も出て、現場はしょっちゅう罵声が飛び交っていました。まさに地獄絵図・・・

僕はここで3日間徹夜して倒れちゃったんですよね(笑)

起きたら見知らぬ天井

病院に運び込まれてました。数日して社長が来て一言

「現場に戻るか、会社を辞めるかどっちか選んでくれ」

 

・・・?

 

ん?

 

ん・・!?

 

何だこの二択?デッドオアアライブ的な?

ワケも分からず自分は

 

「やめます」

 

会社を数ヵ月で辞めてしまいました。
一人暮らしで次も決まってないので冷や冷やですよ。頑張ろう!って思ったのがこんなことになるとは思いもせず・・・人生何があるかわかりませんね(笑)

 

で、さすがに仕事をしないと生きていけないので、タイミングよくやっていたIT業界向けの転職フェアに行ってきました。ここでの出会いがきっかけになったのですが、それはまた次のお話ということで♪

The following two tabs change content below.

松山 貴登

最新記事 by 松山 貴登 (全て見る)

この記事をシェアする

  • Twitterでシェア
  • Facebookでシェア
  • LINEでシェア