一般社団法人 全国個人事業主支援協会

COLUMN コラム

  • 日本の“二季”を生きる — 季節が消えていく時代に思うこと

最近、「春と秋ってどこ行ったんだろう?」と思うことが増えました。
気づけば冬が終わったと思ったら一気に夏の気温。
秋を感じる前に、また冬の気配。

そんな“二季”のような日本の気候を過ごしていて、ふと感じることがあります。

■ 暑すぎる夏と、急に来る冬

夏はとにかく長くて、強烈。
昔は「梅雨明けと同時に夏が始まる」ようなイメージでしたが、今は梅雨の途中でも30℃超えが当たり前になってしまいました。

冬も冬で、急に寒くなる。
気温差が激しすぎて、身体が季節に追いついていません。

「春はどこ?」「秋は?」
そんな疑問を毎年くり返しています。

■ 季節の移り変わりを味わう余裕がなくなった

昔は、季節のグラデーションがもっと繊細に感じられた気がします。

・春の匂い
・秋の風
・気温が少しずつ変わる感覚

こういう“ゆっくり変わる季節”が年から年へと薄れているように思うんです。

ほんの少し空気が変わっただけで、季節を感じ取れたあの感覚。
今では急激な気温変化に押し流されてしまって、しみじみ「季節だなあ」と思う余裕がありません。

■ それでも、わずかな季節のサインを見つけると嬉しい

ただ、それでも時々、「あ、季節が変わりはじめてる」と感じる瞬間があるんですよね。

・朝の空気が少し軽い
・夕方の光がいつもより柔らかい
・木の葉の色がほんのり変わっている

こんな小さなサインに気づいたとき、なんだかほっとします。

「まだ季節って生きてるんだな」と。

■ 二季でも、自分なりの季節の感じ方を持てばいい

日本が“二季化”してきたことは確かだと思うけれど、
その中でも自分なりの季節の感じ方を大切にしたいなと感じます。

昔みたいに四季をはっきり味わえなくても、
日常の中にある小さな変化を拾っていけば、
ちゃんと季節はそこにある。

無理に「四季を感じなきゃ」と思わなくてもいいし、
「二季でもいいか」とゆるく受け入れるのも悪くありません。

■ まとめ

季節が薄く、短くなっていく日本で暮らしていると、
昔の四季の記憶と今とのギャップに戸惑うことがあります。

でも、二季の中にも小さな自然の変化は確かにあって、
そのひとつひとつを感じることで、
今の時代なりの“季節の楽しみ方”ができるのかもしれません。

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