こんにちは。
まだまだ残暑が厳しいですね^^;;
私事ですが、今は妊娠中なので胎教を兼ねて絵本を読んでいます。
昔読んだ話でも大人になってから読むとまた新たな視点になるので新しい発見もたくさんあります。
その中で注目したいのが「カチカチ山」のタヌキです。
実は家庭内暴力をしてしまう思春期の子どもとそっくりなところがあるんです。
今日はそのことについて話していきますね。
ざっくりストーリーをお話しすると、老夫婦の畑で悪さをするタヌキがおじいさんにつかまってしまいます。
おじいさんが出かけている間におばあさんを騙して殺し、たぬき汁ならぬばばあ汁を作ってタヌキは逃走。
悲しみに暮れているおじいさんの話を聴いたウサギがあの手この手でタヌキを懲らしめ、タヌキは最後に海に沈んでしまうというものです。
私が小さい頃、この話はタヌキに対して「悪いことをすると罰が下る」という解釈でした。
これも間違いではないと思います。
しかし、タヌキはなぜ老夫婦の畑で悪さばかりしたのでしょう?
絵本の話の中にはありませんが。もしかしたら老夫婦の家が建っている場所がもともとタヌキの塒があった場所だったとしたら?
この老夫婦に限らず、人間が山を開拓していったことでタヌキの住む場所がなくなってしまっていたのだとしたら?
おばあさんを殺したことなどはもちろんタヌキが悪いですが、もし先ほどのようなことがあったのだとすればタヌキだけが一概に悪いとは言い切れないと思います。
これって実は家庭内暴力をしてしまう思春期の子どもにも共通するものがあるんです。
家庭内暴力をしてしまう子どもたちの話をたくさん聞いてきた中で、一番大きな原因が
「親子間でパワーゲームをしてしまっている」ということです。
例えば、子どもが小さいことに少しでも良くないことをすると叩いて叱っていた。
他には、言うことを聞かない子どもに対して激しく罵倒していたなどの場合。
あるいは、子どもにとって怖い存在の人(大概はお父さんになる人)を引き合いに出してきて子どもを恐怖で縛るような対応をしてきたなど。
小さい子どもにとって親はとても敵うものではありません。なので一時的には従うんです。
しかし、こういった環境下で育った子どもは無意識のうちに
“怒った時は暴力をすればいい”とか、“相手が悪いことをしたときは相手を罵ればいい”ということを学んでしまうんです。
しかし、子どもが実際に同じことをすると当然親に叱られたり、学校の先生に怒られたりすることになります。
でも子ども自身は親が怒る姿から学んだことをしただけです。
子どもから見ると理不尽極まりないと感じてしまいます。
でも家では何か起こるたびにパワーゲームばかり。
こうなると子どもは“親よりも強くなれば自分は安心できる”と考えるようになり、結果的に家庭内暴力に結びついてしまうんです。
話は少し戻りますが、「カチカチ山」のタヌキの背景に自分の住処を奪われたとしていたら、おじいさん(人)とタヌキは同じようにパワーゲームをしていたことになると思いませんか?
こうやって考えてみると、おじいさんが本当に悪くないとは言えません。
ウサギなんておじいさんの話しか一方的に聞かずタヌキを責めるばかりですよね。
タヌキ=思春期の子ども
おじいさん=家庭内暴力の場面の対象となる母親
ウサギ=母親の話しか聞かず子どもを叱りつける父親
と似ていると思いませか?
当事者の方には厳しく聞こえると思いますが、家庭内暴力が起きている家庭の典型的なパターンと同じンです。
なので、子どもが家庭の中で暴れるなどをしている場合、子どもが起こした行動(=暴力)だけを責めるのではなく、今まで自分たちが子どもを叱る場面でどんな対応をしてきたのか、子どもの背景にしっかりと目を向けることが必要だということがこの「カチカチ山」のストーリーからもお判りいただけたのではないでしょうか^^
それにしても、まさか胎教で読んでいる絵本からこんな発見があったとは!!
昔話って大人になってから読むと改めて奥が深いなぁとか、昔の人はよく人を見ているなぁと感心してしまいます^^;