確か夏頃だったか、この本を読み始めてようやく本日読了することができました。
今回はこの本について取り上げさせていただきます。
(前回の記事では「編集のスピードアップ」と「編集予測時間のズレ」という課題がどうなったか?について次回書こうと思うと入れましたが、それはまた今度にっ!)
山岡鉄舟は自分にとって歴史上の人物で1、2を争うほどの大好きな人物であり、また尊敬している人。
鉄舟の弟子の1人が書いたこの本のものすごく印象に残っているのは江戸城無血開城の話。
一般的には勝海舟が西郷隆盛と三田の薩摩藩邸で会談したことが江戸を戦火の海に投じることなく済んだとなっているけれど、この本によると山岡鉄舟の功績が何より大きい。
ではなぜその功績が今評価されていないかというと、勝海舟が明治維新の論功行賞の際に「あれは自分がやった」と報告をし、それを知った山岡鉄舟が勝海舟の顔に泥を塗るまいという判断で「自分は何もしていない」ということにしてしまったことが影響しているそうだ。
何が真実で何が真実でないかなど今更調べようもないところではあるのですが、「温故知新」という言葉があるように歴史から何を学ぶのかといえば、自分が人生を歩む上でモチベーションを上げたりモデリングすることで自己実現の一助になるのであれば、それが真実かどうかはともかくとしてそれはそれでアリなんだと思う。
まぁ江戸城無血開城の話が何が事実かはともかく、山岡鉄舟がとてつもなく大きくものすごい人間味あふれるとんでもない男であったというのは間違いがないと思う。とても自分など及ぶはずもないのですが、せめてちょっとでも近づけるようにまたその存在を意識することで人としてより良い人生を歩むことにつながってくれるのなら、それでいい。
ではどうすれば山岡鉄舟のようなすごい男になれるのか?
そもそも生まれ持った性質が違うと言えなくもないのですがそれを言ってしまうと元も子もないので、それに憧れる者として何ができるのかというと「自分との約束を固く守る」というその一点においてまずそこが違うなぁと感じるところと、負けん気の強さや意志の強さ、一度決めたらやり通すその粘り強さ、そしてあきらめない気持ち。。
いろいろ上げていけばキリがないところがあるのだけれども、やはり意識1つとってみても格段の差を感じずにはいられない。
どうすればそんな意志の強いまっすぐな男になれるのだろうか?
究極的に言ってしまえば勝つとか負けるとか、うまくいくとかうまくいかないとか、そういう部分をある意味超越しているというか、そもそもうまくいかないなどということを考えていないんじゃないだろうか?
それが山岡鉄舟本人の元々の性質による部分と禅によって磨かれた部分とがある気がする。
禅で「二元対立から絶対の境地を目指す」というのはある意味山岡鉄舟はその具現者だと思う。
「両頭共に裁断すれば一剣天に倚って寒じ」という自分が稽古している剣道場の床の間に掲げられる軸のこの言葉がまさにそれを表しているけれど、結局そこを意識して日々磨いていく以外に道は無いのかもしれない。
山岡鉄舟のような人物はそうそう現れるものではないと思うけれども、またそう簡単に近づけるものでもないけれども、少しでも近づけるように自分を磨いていこうと改めてこの本を読んで思いました。
「命もいらず名もいらず、名誉もいらん」という山岡鉄舟のような人物に自分もなりたいと思いながら、捨てきれない欲を感じずにはいられません。
が、まあそれはそれとして、凡人は凡人なりにちょっとでも山岡鉄舟に近づけるよう日々小さな努力を重ねて仕事においても無血開城のようなとてつもない結果は無理だとしても、自分なりに精一杯取り組み時間をかけてでも誇りの持てるものを残せるようにしていきたいと思います。