【父・安倍晋太郎】
成蹊大学を卒業し、アメリカ留学を経て神戸製鋼所に就職した晋三であったが、ある日父・晋太郎から「明日から秘書になれ」と言われる。
「そんなすぐに辞められるわけないでしょう!」と断るも、残務処理を同時進行で行いながら、父の秘書として働くことになる。
政界のプリンスと呼ばれ、次期総理として大きな存在感を持っていた安倍晋太郎は、親友である竹下登に、先に首相の座を譲る。
そしてソ連を訪問した際、ゴルバチョフ大統領と会談する。時期総理と見られていたため、外務大臣でありながらソ連の最高権力者と会談できたのだ。この時、「桜の咲く頃に、ぜひ日本にも来てください」と約束を交わす。
しかしその後、膵臓癌を患い、72キロあった体重は55キロにまで落ちていた。
1991年4月、ゴルバチョフ大統領は約束通り来日。晋太郎は、スーツの下に詰め物をして、少しでも痩せた体を隠して会談に臨んだ。文字通り、命を削って政治に臨んだのだ。
結果、これが最後の政治活動となった。翌月、67歳で亡くなる。
そんな晋太郎だか、その人間像を物語るエピソードがある。
晋三がまだ小学生の頃、玄関先に掛けてあった父のコートを盗もうと泥棒が入ってきたことがあった。これをたまたま見つけた晋三少年は、大声を出してこれを追い払う。
褒めてもらえると胸を張って父に報告すると、晋太郎は、
「コートくらい持っていかせたらよかったのになぁ。かわいそうに」
と口にしたという。物欲や金銭欲がないのは、晋三にも引き継がれた安倍家の気質らしい。