一般社団法人 全国個人事業主支援協会

COLUMN コラム

  • 会社員という仕事について。(初めて投稿いたします。)

この度、当法人へ入会させて頂く事になりました。鈴木典子と申します。

皆さまどうぞよろしくお願いいたします。(誤字脱字、ご容赦ください。認識の相違等ございましたらご指摘願います)

まだ、右も左もわからない者ですが、皆さまにお役に立てる情報提供が出来ればと考えております。

今回は初回ということで、少し長文になりますが、これまでの仕事や、会社員を退職した理由について、お話させて頂きます。

背景として、労働力人口「就業者(従業員)」の割合が多い理由の一つは、人類(国・宗教・文化)の全体の枠組みの中での市場経済の仕組み、政治的背景、日本の教育制度(学校の方針)で、何より社会で先に経験している親の価値観(生まれ育った環境や、受けてきた教育、親の人生観)が大きく影響していたと考えます。

『労働力調査(基本集計)2022年(令和4年)平均結果の要約』(令和5年1月31日、総務省統計局公表資料)によれば、私の現在位置は、15歳以上労働力人口の「完全失業者」と、非労働人口の「通学」に分類されており、先月末まで勤めていた会社から送られてきた退職に関する書類をもって、失業保険受給手続きをこれから行うステータスであり、パートタイム学生(MBA課程取得)です。

ただ、前職場の送別会の場で宣言をしたのですが、これから先の人生は、就業者としての活動は考えておりません。

では私は今後、会社員から何者になりたいのかと言うと、自分自身で稼げる力や専門性を身に付けて「個人事業主として舵取りをして行く1人口」になろうとしています。総労働力人口の中の自営業に該当し、一般的には定年退職後に企業をする人口が増えますが、一足早い決断かもしれません。

バブル崩壊後、入社当時の「会社員の理解」は、親が会社員で母は主婦。毎日決まった時間に出社して、会社から求められる仕事をして給与を貰うものでした。当の本人は勉強嫌いだったので、高校卒業までに就職活動をして、親が納得する会社へ就職することでした。高校3年の2学期には、就職活動を開始し、受ける会社を進路指導担当者と相談して定め、いくつかの業界の中から金融機関を選択し、内定を頂き就職しました。そこに、仕事に対する意義、意味づけはなかったと思います。

会社(企業)組織内の「社員の理解」は、経営者(社長・副社長)以下、役職名が上から付与されピラミッド組織になっており、そこで繰り広げられる日常の会話から、上の人は偉い。上の言うことに従うのが部下の役割だと認識していました。今振り返れば、誰が教えてくれた訳でもなく、親の働いている姿をみたり、実社会ではアルバイト経験の中で「そういうものだ」という価値観が植え付けられていました。

会社員のメリットは、経営努力のもとで、企業が社会的な価値を提供し続け収益を上げている限り、一度就職すれば、雇用の安定や、与えられた役割の中での期待値、期待値以上の労働力を提供することで、社会システムが崩壊しない限り、定められた給与(ボーナスなど)は支払われるということです。

就職して約30年ほど会社勤めをしてまいりましたが、それまでどのような学業を選択するか、どのような学問を究めるか、その道に進むためのベース作りとは何なのか、深く考えることもしてこなかったのです。

会社の中での入社時の私のキャリアは、定められた役割を日々ミスのないように処理をする1駒でしかありませんでした。様々な役割を担えるようになるための研修を会社から提供して頂いたり、自らが希望する部署への異動には10年以上要しました。私の最終役職は課長代理でしたが、組織の在り方や、顧客目線を考え、会社を良くするにはどうしたら良いかを考えていたのは、上の中間管理職(課長や次長)よりも私自身の思いの方が強かったと思います。志半ばでの退職の決意でしたが、私の勤めた会社は、組織が効果的に機能していない会社であり、ある意味、自由に責任を持たせてくれて、学びも多く得られたのですが「本質的な意味」で納得感が得られる会社員人生ではありませんでした。

退職した理由は、前述にある個人事業主になるための準備(学び)に、時間を確保したかったからです。

次回は、学業の内容、準備段階の活動状況をご報告させて頂こうかと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

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鈴木 典子

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