【第一次政権の最後の大仕事】②
暴風のような安倍政権批判により、支持率は低下の一途を辿る。そしてついに、参院選で自民党は大敗を喫して、衆参ねじれ状態となる。
かつての橋本龍太郎政権の時も同様の状況になり、橋本総理は辞任している。当然この時も、安倍総理辞任を求める声が上がる。
しかし、安倍総理は「まだやり残したことがある。自分でなければなし得ないことだ」と、信念を曲げず、続投を表明する。
この時、中学生時代に発症していた難病、潰瘍性大腸炎が悪化してきていた。潰瘍性大腸炎とは、自己免疫疾患の一つで、大腸の内壁を免疫細胞が攻撃し、剥がれ落ちて真っ黒い血便となって排泄される状態になるという。
これが、一日に20〜30回繰り返される。体調がひどく悪いのはもちろん、精神的にもかなり蝕まれていく。
それでも、安倍総理は最後となってしまう大仕事に出る。2007年8月22日の、インド国会での演説である。
「二つの海の交わり」と題されたこの演説は、のちに「自由で開かれたインド太平洋戦略」として、新たな世界の枠組みとなり、アメリカの国家戦略に据えられる。
それまでの概念として、インド洋と太平洋は別々の領域であった。この二つの領域が繋がっているという新たな概念を打ち出したのだ。
インドから日本、オーストラリア、そしてアメリカに連なる一大連合となる。対象は、中国だ。
当時、中国のGDPは日本に及ばず世界三位。先進諸国は、中国を豊かにすれば民主化していくだろうと楽観的に見ていた頃だ。
しかし、近現代史に造詣の深い安倍総理は、当初から中国の危険性に気づいた。インド洋と太平洋を一つにして、新たな枠組みを作って中国に対抗する構想は、実は官房副長官時代から描いていたと言う。
この「二つの海の交わり」と題した演説は、インド国会で大きな反響を得た。