【日本を取り巻く厳しい状況】❷
民主党に政権を任せたのは、完全に間違いであったことを国民は認識せざるを得なかった。売国的左派政権で、政権運営能力もない、人材もない。
記者会見の席で、官僚をバカ呼ばわりして、最後はテレビカメラの前で、官僚に謝罪する菅直人の姿は惨めそのものであった。
この亡国の危機において、三宅久之氏が、「安倍晋三総理大臣を求める民間有志の会」を立ち上げる。各界の錚々たるメンバーが名を連ね、安倍氏の総理再登板を推し進める機運を高めていく。
安倍氏自身は、退陣後、マスコミからは追い討ちをかけて叩かれ、国民から直接罵声を浴びせられるなど、しばらく政治家としてしっかりと立ち上がることが困難な状態が続いていた。自信も誇りも砕け散っていた。
しかし、2008年、第一次内閣で内閣広報官を務めていた長谷川榮一氏に誘われて登った高尾山で、行き交う人々に、「安倍さん、元気になったんですか⁈」「頑張ってください!」と多くの温かい言葉をかけられた。この時から、徐々に「もう一度挑戦してみよう」という気持ちが出てきたと言う。
それから、安倍氏は国民と直接対話のできる小さな集会に顔を出して、国民と直接対話をして、何が必要なのか、何を求められているのか、つぶさに耳を傾けていく。2009年までに、その数は300回に及ぶ。
周囲からの再登板を求める声が日増しに増す中、決めかねていた安倍氏を、最後に説得したのは菅義偉氏である。会うたびに再登板について説得されていたが、最後は銀座の焼き鳥屋で3時間かけて説得され、ついに首を縦に振った安倍氏。
そして2012年11月。自民党総裁選に立候補することになる。
森元総理など、多くの近い人物から「まだ早い。5年前の辞任のイメージが記憶に新しすぎる」と、とどまるよう助言される。「ここで立って敗れたら、もう二度と芽がない。必ずまたチャンスは来るから」と。
しかし、日本の危機的な状況は、もう待ったなしとのころまで来ている。安倍氏は、もし敗れたらまた挑戦する。そこで敗れても、また勝つまで挑戦する、と決意は固かった。