昔から死を感じたことは
たくさんあった。
車に轢かれた時、
階段から落ちた時、
バスに押し潰されそうになった時、
チンピラにぶん殴られた時、
3階の足場から滑って落ちた時、
鬱病の時、
包丁に写るボヤけた自分を見た時、
…まあ、様々な場面で
死を感じた。
今あげたのは
主観的な一例には
なるけど、
大切な人達が
死に別れる時にも
同じように
感じてきて…
そこでハッと気づいたんですよ。
僕は死について
あまりにも
知らなさすぎるってことに。
だから、
漠然と死を恐れ過ぎてる。
ホントは何も
恐れることなんかないのに。
鬱の時なんか、
安易に死へ
逃げようとしていた。
死を便利な
逃げ道に
しようとしてたんです。
だから
死について
もっと知りたくなったんです。
死は寂しいものかもしれない、
でもそれだけじゃ決してない。
…僕はそう信じてる。
前置きが長くなってしまったけど、
この記事の結論は、
〝死を学んで、
もっと幸せに生きよう〟
です。
チベットに伝わる
死者の書。
そこから学んだ死生観を
まとめました。
これから幸せになろうとしてる方、
もっと幸せになりたい方、
死生観を通して
ビジネス視座を上げたい方、
ビジネス初級者から上級者まで
かなりの学びに繋がると思いますので
是非最後までお付き合いくださいね。
死者の書ですが、
先ほど、3時間くらいで読破したので、
そこから得た
フレッシュな学びを中心に
お伝えしようと思います。
そしたら…
まず、死とはなんでしょ?
医学的に言うと心配停止した状態…
みたいなことでしょうか?
死者の書いわく、
〝生と生の間の期間〟
を指してるみたいです。
四十九日(しじゅうくにち)って言葉、
聞いたことないですか?
要は、
その49日の期間を使って
色々と試練を達成し続けることで
どの道に行くか、
どの道にも行かないか、
を判断するみたいです。
その49日で進む道っていうのが
六道と呼ばれてるもので、
地獄道、餓鬼道、畜生道、
阿修羅道、人間道、天道
のどれかに行くか、
試練を乗り越えて
六道の外に出る
(解脱する)かを
選ばされると。
しかも、
選ばされるタイミングって
死んでから3日半〜7日後
みたいなんですよ。
肉体的に死んだ後、
魂的に気絶?するみたいで
気絶から覚醒するまでの
時間は個人差あるようです。
ここでこの選ばされる、
という僕のイメージを
共有したいんですが、
気絶から覚醒した時、
場面はバラバラだと思うんですが、
共通してるのは
①入り口があって
②入り口を抜けると
広大な何かが広がって
③広大な何かを観察しつつ
微かな違和感を頼りに進んでく
④進んでくと
何かに出逢い試練を受ける
かなと。
上記は僕が今まで触れた
どの宗教の教えの中でも
死に関する内容の
共通概念という認識です。
不思議な現象ですが、
前世の記憶がある日本人が居て、
実は前世は911のテロで
亡くなったアメリカ人だった
みたいな事例もあるようです。
個人的には面白いなぁ、と
感じてるのは
転生っていうのは
どの宗教に属してようと
土地や民族要素関係ないのかな?
ということですね。
みんな前世の記憶があれば、
〝あなたの前世で住んでた土地は?
所属していた宗教は?〟
みたいなアンケートとって
統計の偏りを分析してみたいなと
個人的に感じてます。
そこから規則性を見出せたら、
死の不安ってやわらげることが
できそうかな、と。
ここまで色々と語りましたが、
結局、身体的な〝死〟というのは
心配停止した時の総称で、
心や魂と呼ばれてるもの
とは別の意味
なんですよね。
心や魂的に〝死〟というのは
次のステージに進む為の
ステップアップ(ダウン)期間
みたいなものです。
それでは、その部分を踏まえて、
逆に生きるということは
どういうことか?を
ちょっと考えてみたいと思います。
結論から言うと、
生きることはズバリ、
〝様々な身体的刺激を通し
魂や心の質を上げる期間〟
のことを
指しているのでないかなと。
生きてく上で
誰しもが理不尽な事象や
困難な事象に
出逢うものです。
でも、その事象を
理不尽と見なすのか
困難と見なすのか
チャンスと見なすのか
は、出逢った本人が決めること
となります。
あ、そうそう。
死者の書の一説に
こんな文章がありましたので
紹介したいんですけど、
場面としては、
自身のお葬式を見てる時、
様々な人達が自身のお葬式に
来てくれる、そんな場面です。
そこには
ーあなたの死を悲しむ人
ーあなたの死を喜ぶ人
ー何も考えず義理だけで来てる人
ー品格を疑うような冗談を言う人
あなたは様々な人達を見て、
「え?悲しむ人達はともかく、
それ以外の奴ら
こんなこと思ってたの?」
みたいに思ってしまう、そんな場面。
そんな場面の時に
死者の書はこう説いてます。
〝他人を悪く考えることは、
汝にとって
何の益もないばかりでなく、
大きな損失となるのである。〟
要はいろいろな人達がいる中で
流されず、善きに計らうことで
大きな益を得よう、という
教えですね。
例えば、
心を許した友人に
お金を持ち逃げされたとします。
その時に、
「あいつ…持ち逃げした金で
贅沢したり遊んだりするんだろうな…
許すまじ。
必ず孤立させてやる」
と、考えるのか
「あいつ…持ち逃げした金で
贅沢したり遊んだりするんだろか…
いや、
きっとやんごとなき事情が
あるはず…
でなきゃ、
黙ってお金を持ってったり
するわけないわ。
次会う時までそのお金は
体裁的に預けた、
ということにしとこ。
判断は事情聞いた後でも
遅くないでしょ」
と考えるかで
その後の展開は
異なるものになるかなと思います。
ここで大きなポイントとしては、
〝悪く考えない〟ということです。
悪く考える
↓
疑心暗鬼になって
心や魂が不安定になる
↓
更に悪く考える
↓
更に
疑心暗鬼になって
心や魂がより不安定になる
↓
更に悪く考える
↓
………………………………………………………………
みたいな悪循環に陥って、
どんどん魂や心の質が
悪くなっていく。
質が悪くなると
死んだ後の試練も
乗り越え難くなるかな、と。
努めて質を上げることで
生きてく上で
心に余裕が生まれるし、
死んだ後も余裕もって
試練クリアできそうなので
かなりオススメですね。
極論ですが、
何事も下記の考え方に
集約されるのかな?と。
〝他人を悪く考えることは、
汝にとって
何の益もないばかりでなく、
大きな損失となるのである。〟
今まで色々な人達に出会ったり、
歴史の解説書や
心理学の本や
脳科学の本なんかも読んで
感じたことは、
〝大抵の人は
自分の人生に
微益と安定を求めてる〟
ということ。
例えば、
〝簡単なアルバイトに
興味ないですか?
スマホで簡単に
日給1〜5万円稼げる〟
なんて如何にも怪しい
ダイレクトメッセージが
届いた時、
騙されると分かってても
安定した微益に繋がるのであれば
人はコロッと広告元に
連絡してしまうものなんです。
知らずのうちに
犯罪の片棒担いでしまう
なんてことも起きてしまう。
それで、
ここからが重要なんですが、
上の例含め言い換えると
自分の微益と安定に〝執着〟してる
人が大勢いる、ということです。
これまで、
死んだ後の49日で
試練を課されるみたいなことを
お伝えしてますが、
試練のクリアに必要なコツ、
みたいな教えもあり、
大まかに整理すると
以下内容になるんですよね。
①怖気付かない
②執着しない
③慢心しない
上記の重要な内容は、
まさに②の内容なんです。
あなたも人生の中で
一度はこう思ったこと、
ありませんかね?
「他の人よりも豊かになりたい」
「楽して得したい」
「今より少し給与が上がれば…」
例えば、
苦労して有名な企業に
就職した後、
安定した給与を
貰えるようになったら
「もっと給与あげたい。
でも、いきなりは流石に
無理だし、すぐに
今より少し上がるなら上げたい」
「絶対同期のあいつより早く
出世してやる」
みたいに考えて、
仕事はそこそこに
出世競争と上司の太鼓持ちに
精を出す。みたいな人
見たことないですか?
客観的に見て
そういう人ってどう見えます?
凄い頑張ってるなぁ、みたいな
意見もあれば
醜いなぁ、
や
あの蝙蝠野郎…
さっさと致命的な失敗して
左遷されないかな
みたいな意見も少なからず
あるかなと思います。
それでは、
なんで頑張ってるのに
マイナスな評価が
上がってくるのでしょうか?
それは、
目の前の微益や
幻想的な安定に執着するあまり、
長い目で見た大きな利益や
本質的な安定を
無視し続けているからかなと。
例えば、
同僚や役職付いてない先輩を
無視して
役職付いてる人だけに
親切で丁寧に対応する人が
数年後、給与面では
他の同僚よりも微妙に
上がったものの
見下して丁寧さを
欠いた対応をしていた
先輩が出世して
職場の立場が苦しくなったり、
幼い時に子供を
ストレスの吐口にしていた親が
子供が成人して独立した途端、
親子の縁を切られたり
〝自分の〟微益と安定に
執着して優先するあまり、
微益や安定と真反対の事象が
起きるなんてことは
よくある話です。
逆に、
〝相手の〟微益と安定を
怖気付くことなく、
慢心せず、
供給してあげて、
やったことに対し執着せず
供給し続けることができれば
あなたを
大切にしてくれる人が
続々と現れてくるということです。
余談ですが、
この前、高校の時、
めちゃくちゃお世話になった
バイト先の上司が
お亡くなりになりました。
上司のお葬式の日、
お恥ずかしい話、
人目も憚らず、
男泣きしてしまったんですね。
(ご遺族の方々から
ドン引きされるくらい)
お坊さんの読経が
聞こえなくなって
ご迷惑を
お掛けしそうだったので
外に出て空を仰ぎながら
声にならない声で
めちゃくちゃ泣きました。
泣いてる時、
今までの感謝と
仕事で忙しい時期に
ご飯のお誘いを
数回断ってしまった時を
思い出した後悔で
ごちゃ混ぜな感情に
なりながら。
その上司には、
仕事のやり方から
女性との接し方まで
色々なことを
教えて貰ったし、
酔った勢いかは
分かりませんが、
「おう!お前は
我が子みたいなもんじゃ!
もしお前が虐められてたら
虐めたやつ片っ端から
ぶん殴ってやるよ!」
なんて、
親にも言われたことの
ないようなことまで言ってくれて。
本当の家族のように
慕ってたってのもあります。
ひとしきり泣いて、
なんとか
少し落ち着いてきたので
葬儀場に戻ろうとした時、
ふとその上司の声が
聞こえた気がしました。
「何もそんな泣くことないだろ?
ハナタレ小僧が。w」
また涙が溢れ出てきて、
その声に応えるように
「あんたが死んだからやろ!
バカちんが!
今までありがとうございました!」
と心の中で呟いたんです。
「ああ、わかったわかった!
悪かったよw
見守っといてやるから許せ」
そんな答えが心の中に
響いてきた気がしました。
もう、その後
家に帰ってお風呂に浸かるまで
本気で涙が止まらなかったことを
今でも昨日のことのように
思い出せます。
不思議とその日から
めちゃくちゃ仕事や
プライベートが
上手くいってるんですよね。
「見守ってやる」
義理堅く、情に厚く
仲間思いで
有言実行する人だったので
あながち、
僕を含めて
彼が大切にしてる人達を
今でも見守ってくれてる。
本気で僕は
そう感じてます。
では、最後にまとめですが、
結論、
〝死を学んで、
もっと幸せに生きよう〟
となります。
身体の死と心の死
の概念は別物で、
心や魂の質を上げれば
幸せは自ずとやってくるかなと。
また、
質を上げるには
怖気付かず、執着や慢心をせず、
〝相手の〟微益や安定を
供給することが大切と
考えてます。
僕の億越え起業家と
大企業の役員を兼務してる
師匠曰く、
〝尊び敬い、
謙虚かつ素直でいれば
チャンスの扉は自ずと開く〟
らしいし、
死者の書に書かれてることも
死んだ後よりも
今を生きてる人にも
応用が効くことが
多く書かれているな、と
感じました。
〝他人を悪く考えることは、
汝にとって
何の益もないばかりでなく、
大きな損失となるのである。〟
この言葉は忘れず、
困った時に思い出せたらな、と。
_____ _____ _____
怖気付くな
執着するな
慢心するな
尊び敬え
謙虚であれ
素直であれ
他人を悪く考えることは、
汝にとって何の益もないばかりでなく、
大きな損失となるのである。