令和の米騒動の渦中で起きた舌禍で農水大臣が更迭され、小泉新農水大臣が備蓄米を随意契約で大手販売流通に直接販売することによって、コメの販売価格を下げようとしていますが根本解決にはまったくなっていません。納税者としての観点、農業に携わっている身からとしての観点で少し見方は少し異なるところはあるかも知れませんが、令和の米騒動の主要因は40年以上もの間続けてきた減反政策の失敗にあると思います。コメを作り過ぎると価格が暴落してしまうため、コメから別の作物への転作奨励など税金を使ってコメの生産調整を行い、コメの生産能力を削いできた結果、コメの実需に供給(生産)が追い付かなくなっているというのが実際のところと思います。 日本人の主食であるコメの供給が自国の生産では賄えないとすると輸入に頼らざるを得なくなりますが、コメをいつでも自分たちの都合のように安価で輸入出来るのか?という疑問が残ります。ウクライナ戦争によって小麦の市場価格が大幅に上がったことは記憶に新しいですが、現在の食品価格の急激な上昇は輸入品作物の価格上昇だけの問題ではなく、食糧生産を行うための肥料などの農業資材の急激な上昇が根底にあります。世界人口は未だに増えており食糧需要は増えている。どの国も食糧生産にコストが掛かり、また異常気象の影響で予定通りの収穫が出来なくなってきている。 このような状況で、コメだけ特別扱いするな。日本のコメの価格が高ければ海外から買えば良い、他のものを食べれば良いという乱暴な議論は平時の平和ボケした危険な考え方だと思います。 自国民の主食ぐらいは自国で生産・供給能力を確保するという当たり前のことが、将来への展望も国家感もない政治家や経済人に国を任せると今回のようなコメ騒動は一過性のものではなく、恒久的に起きる懸念があるということに気づかされた思いです。 国レベルで考えると食糧自給率を上げるということになりますが、国政が信頼出来ないとなると自分が食べるものぐらいは自分で作る自産自消の考え方を持っていかないといけないということになります。都会の住人は自分で作るわけにはいかないでしょうから、生産者と直接繋がることで自分の食べるものを確保する。地方住民と都会住民を繋ぐ・消費者と生産者を直接つなぐ互助的なコミュニティの形成が必要になってくるのではないかと思います。令和のコメ騒動は減反政策の失敗が根本にあるとは思いますが、より大きな視点で見ると冷戦終了以降世界で主流となってきた新自由主義、グローバル資本主義の制度疲労と行きつく先を暗示している様にも思えます。