フルリモートでプロジェクトに参画したときのことです。
やり取りは、ほぼすべてSlack。顔を合わせることは基本的にありません。
効率的ではあります。
でも、ふとした瞬間に違和感がよぎるようになりました。
タスクは進んでいる。やりとりもきちんと行われている。
なのに――“誰かと一緒に働いている実感”がない。
もっとラフに相談したいのに、Slackでは毎回、かしこまった文面を考えてしまう。
気になることがあっても、「これを聞いていいのか?」と躊躇してしまう空気がある。
会話はある。でも、どこかに“壁”を感じる。
まるで、人じゃなくて機械と仕事をしているような感覚になることがあります。
そこで、比較的出社が多かった過去の案件を思い返してみました。
以前の職場では、週に何度か出社していました。
終電まで働くような時期もありましたが、 大変な中にも、「一緒にどう解決するか」を考える空気があったんです。
ときには、現場のエンジニアと深夜までホワイトボードを前に議論することも。
誰かの何気ない一言に救われたり、そこからアイデアが広がったり。
今思えば、あの時間こそが、「人と一緒に働く楽しさ」だったのかもしれません。
リモートワークは合理的で効率的です。 でも、その効率の中で、人としての余白がなくなっていく感覚があります。
最近になって気づいたことがあります。
自分は、仕事をする前に 「人としてつながること」 を自然と大事にしていたんだな、と。
誰と、どんな関係性で仕事を進めるのか。
それが自分にとっての“働く意味”や“やりがい”につながっていたことに、改めて気づかされました
仕事が「つながり」ではなく「処理」になってしまうと、 PMとして「人と動かしていく実感」が持てなくなってしまう。
誰かと一緒に悩んだり、笑ったり、ちょっとした雑談で気持ちが和らいだり―― そういう“無駄に見える時間”が、実は自分にとってすごく大事だったんだと、今になって気づきました。
フルリモートの働き方が悪いわけではありません。
自分にとって何が大切なのかを、ただ見失いかけていただけ。
これからは、たとえリモートでも、人としてのつながりを感じられるチームに関わっていきたい。
もしくは、自分がそういうチームを作れる存在になりたい。
小さな違和感は、
自分が「どう働きたいか」「どうありたいか」を教えてくれるヒントかもしれません。