これに対し、元の滑寿のように、「難経などの古い鍼灸書を捨てて、新しい湯液に走るのは薮医者である」『難経本義』とする批判もある。
近代以降
1822年、清王朝は、「鍼灸の一法、由来すでに久し、然れども鍼をもって刺し火をもって灸するは、究ところ奉君の宜しき所にあらず、太医院鍼灸の一科は、永遠に停止となす。」と宮廷医院内の鍼灸科の廃止を宣言した。太医院(国の最高医療行政機関)のみのことだったのが広まり、それまで漢方薬と双璧だった鍼灸の地位は低下し、鍼灸はほとんど民間療法になっていた[4]。
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