企業経営において「横領」は決して他人事ではない。中小企業から大企業まで、規模の大小を問わず発生し得るリスクであり、被害額が数百万円から数億円に達する事例も少なくない。横領は金銭的損失にとどまらず、組織内の信頼関係を損ない、顧客や取引先からの信用失墜にも直結する。したがって、経営者や管理職は「従業員に横領をさせない工夫」を制度面・文化面の両面から講じる必要がある。本稿では、横領防止のための具体的な取り組みについて整理する。
1. 横領はなぜ起こるのか
横領を防ぐ第一歩は、その発生要因を理解することである。経済犯罪の研究でよく引用されるのが「不正のトライアングル」という理論だ。これは横領などの不正行為が発生する条件を「動機」「機会」「正当化」の三要素で説明する。
つまり、どれほど真面目に見える従業員でも、環境次第では不正に手を染める可能性がある。横領を未然に防ぐためには、動機を和らげ、機会を奪い、正当化を許さない組織文化を築くことが肝心だ。
2. 制度面での防止策
(1) 職務の分離
最も基本的な防止策は「一人にすべてを任せない」ことである。経理担当者が入金から出金、帳簿管理まで一手に担っていると、不正が容易に隠される。入金と出金の担当を分け、承認者と処理者を別にすることで、横領の機会を大幅に減らせる。
(2) 定期的な内部監査と外部監査
社内で定期的に帳簿や在庫を突合する内部監査を実施する。さらに、外部の専門家による監査を年に一度は導入することで、チェックの目を強化できる。「いつでも監査が入る可能性がある」という緊張感が、不正の抑止力として働く。
(3) 承認フローのデジタル化
経費精算や支払い処理を紙ベースで行うと、改ざんや抜け漏れが生じやすい。クラウド会計システムやワークフロー管理ツールを導入し、申請から承認、処理までをデジタルで記録することで、不正の痕跡を残しにくくする。
(4) 現金取扱いの最小化
現金は不正の温床となりやすい。可能な限りキャッシュレス化を進め、現金を扱う業務を減らすことが望ましい。やむを得ず現金を扱う場合でも、複数人によるダブルチェックを徹底する。
(5) 休暇取得の義務化
横領は長期間同じ担当者が業務を独占することで隠蔽されるケースが多い。一定期間の連続休暇を義務付け、別の担当者がその間業務を引き継ぐことで、不正が露見する可能性が高まる。
3. 従業員の動機を和らげる工夫
(1) 公平な処遇と報酬制度
給与が低すぎる、あるいは成果が正当に評価されないと、従業員は不満を募らせ「会社から奪っても構わない」という心理に傾きやすい。適正な報酬制度と公正な人事評価が、不正を未然に防ぐ土台となる。
(2) 相談窓口の設置
生活苦や家庭の事情などで金銭的に追い詰められている従業員は、不正に走るリスクが高い。メンタルヘルス相談や従業員支援プログラム(EAP)を整備し、問題が深刻化する前に支援できる仕組みをつくることが重要だ。
(3) コンプライアンス教育
横領のリスクや発覚時の法的責任について、定期的に研修を行うことで「やってはいけないこと」という意識を根付かせる。また、過去の事例を紹介することは、従業員にリアルな抑止力を与える。
4. 組織文化での防止策
(1) 透明性の高い経営
経営陣が情報を閉ざしている組織では、不正が起きやすい。財務状況や経営方針を定期的に共有することで、従業員が「自分たちが組織を支えている」という意識を持ち、不正への心理的ハードルが高まる。
(2) 内部通報制度の整備
匿名で不正を通報できるホットラインや外部窓口を用意する。内部告発者を保護する制度を整えれば、周囲の目による監視が強まり、不正の抑止につながる。
(3) トップの姿勢
経営トップが「不正を絶対に許さない」という姿勢を明確に示すことが欠かせない。小さな不正を黙認すれば、組織全体が「これくらいなら大丈夫」という空気に染まってしまう。トップ自らが透明性と誠実さを体現することが、最も強力な横領防止策となる。
5. 技術の活用
現代では、AIやデータ分析を用いた不正検知システムも普及している。例えば、通常とは異なる振込先や不自然な時間帯の経費精算を自動で検出する仕組みを導入すれば、不正の早期発見が可能になる。コストはかかるが、横領による損失リスクと比較すれば十分投資価値がある。
6. まとめ
従業員による横領を完全にゼロにすることは難しい。しかし、制度面で機会を奪い、処遇面で動機を和らげ、文化面で正当化を許さない雰囲気を醸成すれば、リスクを大幅に低減できる。
最終的に重要なのは「信頼」と「仕組み」のバランスである。従業員を信用しないあまり過剰な監視をすれば、職場のモチベーションは下がる。一方で信頼だけに頼れば、不正が温存される。適度な監視と支援を組み合わせ、従業員が誇りを持って働ける環境を整えることこそ、横領防止の最も確かな工夫である。