一般社団法人 全国個人事業主支援協会

COLUMN コラム

  • 意識があることの不思議さ

脳によって意識という概念を担保しているがまこと不思議でならない。

人によって認識があまりにも違い複雑である。

幸せや不幸などの認知を基準に生きていると思われるが認識を重視するため

あえて苦しいことを無意識に求めている側面がみられるあらである。

人生とは暇つぶしと誰かがいっていた。的を射ている側面がある。

夢中になれる何かをみつけ没頭する。

はためからみてもさぞかし幸福に見えることであろう。

一方、ジェットコースターのように夢中で進む人生に認知はどのように働くであろうか。

子供がゲームに夢中になりあっというまに時間が経つといった経験は誰もが経験するであろう。

文字通りあっという間である。

楽しいことはあっというま。ならば楽しい人生とやらはかみしめる暇もなく終わりを迎える。

人が人たらしめるものはそのかみしめる中に存在している。

ならば悩みやジレンマは認識上においては必要不可欠であるといえよう。

快を本能的に求めるトリガーとし相対的不快をかみしめる時間ととらえるのであれば、

人生はまこと完璧ということか。

幸せアピールがSNSで拡散され年頃の人たちは苦しんでいる。

相対的不幸を受け入れてしまい迷路をさまよう。

教育とは何かにつながるが土台教える側がこのフェーズに達していない。

悟りという概念にとらわれ意識の不思議さへの探求が未開拓ではなかろうか。

悩みはなくならないという悟りは結構だがそのさきがない。

なくならない中での生き方をどう受け入れ教育していくか。

むしろ悩みは必要であるという視点がそろそろ必要な時代になったのではなかろうか。

 

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山下 喜生

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