教師になった知人が3人います。
彼、彼女らに共通しているのは両親がまともで育ちは良い方、真面目で素直、比較的机に張り付いていられるなどです。
これは育ちはもちろん、元々の性格も多分に影響します。
彼、彼女らは”教師になれるような人間だった”のです。
「何を当たり前なことを笑」と思いますか!?
逆に彼、彼女らは現場仕事は長続きしないでしょう。
まず体力がいる。理不尽に耐えられる体育会系メンタルがいる。そして特殊なコミュニケーションスキルがいる。
”教師になれるような人間”には十中八九務まりません。
これは単に素質、向き不向きの問題ですが世間にはそうは思わない残念な人々がいます。
どちらも人間社会を保つには必要不可欠な仕事ですがブルーカラーを見下す人がいます。
しかも教師の中にいるんだから頭が悪いんだなと思います。
教師というのは大体が、人生の全てを学校で過ごす人たちです。
教師というのは見方を変えれば狭い世界で生きている偏見の強い人たちです。
これは本当に問題だと思いますよ僕は。
多感な時期の子供に触れる回数が親の次に多い大人が世間知らずのアンポンタンなのだから。
つづく