また、中共がこの中医学を「作成」するにあたって、その原型とした文物や「老中医」の技法には、近代以後日本から逆輸出された日本の鍼灸研究の成果が多く反映されている。日中戦争以前の第一次日本伝統医学研究書ブームに続き、1949年からの中華人民共和国では、1966年の文化大革命までに、昭和の鍼灸書が新たに16種翻訳出版され、鍼灸を含めた第二次日本伝統医学書ブームが起きていた[4]。中華民国時代から鍼灸の復興と教育啓蒙を行っていた中医師で、とくに精力的に活動した承淡庵(1899 – 1957)は、1934〜35年の訪日で東京高等鍼灸学校(呉竹学園)などを視察し、帰国後すぐに中国鍼灸医学専門学校を設立した[4]。