この20年間ずっと、走り抜けてきた。
転職も、引越しも、役割の変更も、特別なことではなかった。
環境を変えながら、その都度求められる期待に応え、前に進む。
それが自分のやり方だと思ってた。
でも、ある時から
少しずつ違和感が積み重なっていった。
判断すること。
会社の中で役割を担い、責任を負うこと。
人をマネジメントし、意思決定を続けること。
それらに埋もれていくうちに、
気づけば「動いている自分」だけが前に出て、
なぜそれをやっているのかという感覚が、
少しずつ見えなくなっていった。
動き続けること自体は、決して悪いことじゃない。
むしろ、ここまで来れたのは
その姿勢があったからだと思っている。
上場企業で事業部長という立場まで経験させてもらい、
組織や経営の大変さは、身に染みて感じた。
管理職は、ホンマに大変。
判断の連続で、正解はない。
誰かの決断が、誰かの負担になる。
ただ一方で、
経営視点を持って仕事ができたことは、
会社員でありながら成長や変化を実感できる、
とても重要な体験だった。
その視点と経験が出来たからこそ、
悩みも増えたし、問いも生まれた。
振り返れば、
とりあえず目の前に来たチャンスは、全部やる。
そんな姿勢で走り続けた結果、
ここまで来ることができたと思う。
学歴は関係ない。
それだけは、はっきり言いたい。
もし、学歴コンプレックスの人がいるなら、伝えたい
20年近くかかりましたが、30代後半で結果的に
専門卒から、上場企業の事業部長まで行く事ができました。
環境と意思決定の積み重ねで、人は変われるし、成長し続けれる。
ただ、その延長線上で
自分を見失いかけていたのも事実だった。
忙し過ぎる中で、
判断し続けることが当たり前になり、
日々、千手観音の如く仕事を捌いていく
立ち止まる余白が、どんどん削られていった。
ある意味、自分の限界までやり切ったからこその
突然の空虚感
だからこそ一度、立ち止まる必要があった。
それが自分は、40歳を迎える直前だった。
立ち止まるというのは何もしないことではない。
自分とただ、向き合うだけ。
個人的には非日常な場所や空間で、是非時間を作ってほしい。
忙しさの中で後回しにしてきた感情や、
判断の奥に押し込めてきた違和感に、
ちゃんと目を向けること、全部出すこと。
内省とは反省でも、自己否定でもない。
自分は何を大事にしたいのか。
どういう基準で選択したいのか。
どんな不確実さなら引き受けられるのか。
どこで、腹をくくりたいのか。
これからの人生を、どう生きていきたいのか。
それを言葉にする時間だと思ってる。
AIが当たり前になってから
この感覚は、よりはっきりした。
AIは判断ができる。
情報を集め、比較し、選択肢を並べてくれる。
でも、決断はできない。
どれを選び、その結果を引き受けるのか。
そこには、怖さも、覚悟も、感情も含まれる。
だからこそ
決断は、今もこれからも人間にしかできない。
AIが進化すればするほど、
判断は外に出せるようになっていく
その一方で、
決断だけが、より人間側に残っていく。
それは重たいけれど、
同時に、残された価値でもあると思っている。
立ち止まった時間は
自分にとって、その確認だった。
合理的かどうか。
成功確率が高いかどうか。
条件が整っているかどうか。
そういう判断は異常な経験数でいくらでもできるようになった。
でも最後に向き合ったのは
このまま忙しさにかまけて動き続けていたら
自分は何を考えなくなるのか
言い訳のクリエイティブ力ばかり増えそう
という問いだった。
独立という選択も
その延長線上にある。(あくまで僕の場合)
正解を選んだつもりはない。
ただ、不確実なままでも
これは自分が引き受ける選択や
と言える状態を自分で選んだ。
これからも、
忙しさに紛れて考えずに動いてしまうことはあるやろうし
判断を重ねて役割をこなして
気づけば、自分の感覚が後ろに下がっている事も正直あると思う。
だからこそ
ときどき立ち止まって
自分が何に納得して、何に違和感を持っているのか
そこに向き合い直したい。
動くことを止めるためじゃなくて
また、ちゃんと動くために。
不確実なままでも
自分で選びきるために。
それが
変わり続けるために
今の自分が大切にしていきたい向き合い方と意思でもある。
立ち止まらないと、
自分を見失うことがある。