「囲魏救趙」
「いぎきゅうちょう」と読みます。
「魏を囲んで趙を救う」
「ぎをかこんでちょうをすくう」と読みます。
魏と趙は中国の戦国時代の国です。
言葉の通りではありますが簡単に説明します。
正面から力で押し切ろうとすると、どうしても消耗が激しくなります。
それよりも相手の手薄なところを突くことで、
正面を向いていた相手を動かし態勢を崩すことができます。
その結果、相手を分断できる――という考え方です。
「魏を囲んで趙を救う」を図にすると、こうなります。
(救援要請)
趙(邯鄲)→→→→→→ 斉
↑
↑(攻撃・包囲)
↑
↑
魏(大梁)
趙は魏の大軍に包囲され、斉に救援を求めます。
趙(邯鄲)
↑ ↓
↑ ↓(退却)
↑
↑ 進軍(偽装)
魏(大梁)←←←←←←←← 斉
斉は魏の首都・大梁へ進軍します。
趙(邯鄲)
↑ ↓
↑ ↓
↑ ↓ (待ち伏せ・奇襲)
↑ × ←←←←←←←←← 斉
↑
魏(大梁)
魏に攻め込むと見せかけ、
引き返してくる魏軍を待ち伏せして奇襲をかけます。
この作戦の中心人物が斉の軍師である「孫臏」です。
田忌将軍は当初、趙の都・邯鄲へ直接向かおうとしましたが、
孫臏はこれを止め、魏の首都・大梁へ進軍するよう進言します。
さらに田忌将軍はそのまま大梁を攻め落とそうとしますが、
これも孫臏が制止。
帰還してくる魏軍を狙って待ち伏せするよう提案します。
その結果、帰路についた魏軍に奇襲を仕掛け、
大軍だった魏軍は大きな打撃を受けることになりました。
田忌将軍はそのまま魏の首都を攻めようとしますが、
孫臏は深追いを避けるべきと判断し撤退を選びます。
これが「囲魏救趙」です。
正面から助けに行くのではなく、
あえて別の場所を突くことで状況を打開する、
非常に巧みな戦略です。
もし邯鄲へ直接向かっていれば、
両軍ともに大きな被害が出ていた可能性があります。
場合によっては魏が待ち構えていたかもしれません。
そうしたリスクを避けるため、
孫臏はあえて魏の本拠を狙うという判断をしたのです。
因みに孫臏は「孫子の兵法」で知られる孫武の子孫とされており
「孫臏兵法」の著者としても知られています。
ビジネスでのポイント:
正面から競争するのではなく相手の弱い領域や盲点を突くことで主導権を握ることができる。
次回は 第一部 勝戦之計 第三計「借刀殺人」です。