「テレビ視聴ロボット」とは、興味津々で雑誌をめくり読み込んでみた。
出典は、NHK技研 R&D 2021年冬号No.184からで、ちょっとばかり寝かせてしまった情報である。
テレビ視聴ロボットは、分類的にはコミュニケーションロボットであり、エンターテイメントやコンパニオン
ロボットとも呼ばれる。
「癒しや」「楽しさ」「なごみ」を人に与へたり、助長するロボットである。
最近、ソーシャルなアンケートで、日本人の半数近くがロボットと同居をしてもいいという結果を発見した。
ただ、どのようなロボットとの同居が望まれるのかについては、おそらく人それぞれだろう。
そこまで具体的に突っ込んだアンケート結果ではなかったが、僕は内心でワクワクしてしまった。
話をテレビ視聴ロボットに戻すとテレビ視聴ロボットは番組連動のロボットに関する提案であったりするのだが、
自律したロボットではないようだ。
あくまでもテレビありきのロボットであり、視聴時に動作の付帯するロボットのようだ。
ただ難癖をつけるわけではないのだが、ロボットという商品への価値観が貧弱である。
それは、ロボットの実質的機弱さであり、生活環境にロボットを導入する対費用効果の経済性の悪さ、個人がロボットに
求める技術的課題の妄想的過大な期待感が問題の様である。
これは、ロボットの未熟さであり、未来社会に対する我々の未熟さだと思う。
また、これらの課題は、テレビ視聴ロボットに限ったことでなく、サービス型ロボット全般にみられる問題だろう。
この課題の整理にはシンギュラリティのような技術的転換点が来なければならないしその転換点を見越して、ロボットと
の共創社会について考え直さなければならないだろう。
極めて人間的な欲求や欲望、感情的な所作によって我々人間がどんなロボットを求めるのか、ロボットは我々の生活に
とってどうあるのが理想的なのか。
そんなことを考え直す必要性があるのではないかと考えた。
ロボットの社会学であり、ロボットの経済学であり、ロボットの環境学であり、ロボットとの行動科学、ロボットとの
生活学などなどあるだろう。さて、豊かに生きる上で本当はロボットに何を求めるべきだろうか。
不適切な表現かもしれないが、何であれそれが貴方の愛からであって欲しいと願うのは、僕だけだろうか。
2021年5月26日 Kansai_Ebihara