1895年から50年間、日本が統治した台湾。その発展のため、大きな費用と貴重な人材が投じられたわけですが、その結果、台湾は劇的に発展したわけです。
本業とは関係ありませんが、台湾の発展に尽くした日台の人物をご紹介したいと思います。
一人目は【児玉源太郎】
第4代台湾総督。
日清戦争の後、帰還兵23万人の検疫という大事業を後藤新平とのコンビで成し遂げる。樺山資紀、桂太郎、乃木希典と着任してきたがほとんど実績を残せなかった台湾総督の座に、第4代として就いた児玉は、「土地調査」「台湾縦貫鉄道敷設」「基隆港築港」という3大事業に取り組む。
後藤と共に8年にわたる苦難の台湾経営により、「土匪を根絶し、悪疫を除き、産業を興し、国民の幸せを計る」という目標は達成される。
後藤新平は、児玉源太郎を「部下の実力を見抜き、私心がなく、部下に全幅の信頼を寄せ、自らが部下の盾になってでも任せる人物であった。児玉ぐらい卓越した政治力と人を見る目を持ち、部下の心を掌握できる人物と出会ったことがない」と評している。また別の機会には、「児玉の人間の大きさがわかった。偉い人だ、人間のケタが違う。胸が熱くなった」とも述懐している。
また、ある日新渡戸の妻のメアリーが職場を訪ねてきた時、それに気づいた児玉がすぐに来て、「新渡戸さんの奥様ですか?」と訊いた。日本語が分からないので身振り手振りで意思を伝えようとするメアリーに対し、英語の分からない児玉であったが、的確に読み取り、会話が成立していたという。
新渡戸は後に、「ある文書を私が2時間かけて理解するところを、後藤さんは20分で理解していた。児玉さんに至っては、2分で理解していた」と言わしめるほど、頭のキレは凄まじかったようだ。
江ノ島をこよなく愛した児玉のために、1918年、江ノ島に児玉神社が建立されるが、社殿、神楽殿は台湾の阿里山檜で作られている。児玉を愛する有志たちが集めた浄財によってであった。また児玉神社の扁額は、李登輝の揮毫による。