台湾の発展と日台関係の深化・進展のために尽くした両国の人物をご紹介するシリーズ、第二回目。
●後藤新平
日清戦争後、陸軍次官兼軍務局長の児玉源太郎の推薦により、帰還兵の検疫業務を務める。これを見事に成功させ注目を集める。後に関東大震災後の、世界最大規模となる帝都復興計画を行ったことでも知られる後藤だが、台湾では以下の政策を実行した。
まずは土地調査など徹底した調査事業を行った上で、ゲリラ投降策、阿片漸禁(徐々に禁止する)政策、衛生調査及び上下水道の整備、道路・港湾・鉄道の建設、製糖産業の発展など、近代化政策である。わずか8年で成し遂げたこの後藤の政策は、現在も台湾経済を支えている。児玉源太郎の大事業は、まさに後藤新平なくしては成らずであったと言ってよいだろう。
日露戦争後、満州に進出した日本にとって最も重要な南満州鉄道事業であったが、児玉に請われ、初代満鉄総裁に就任する。
●新渡戸稲造
後藤新平と同じく岩手県出身。著書『武士道』は外国人が日本人を理解する上で必読の書となった。
後藤新平から2年越しの召喚に応えて札幌農学校の助教授を辞して台湾に渡る。児玉源太郎総督に『糖業改良意見書』を提出し、台湾における糖業発展の基礎を築くことに貢献した。台湾糖業博物館(高雄市)には「台湾砂糖之父」として新渡戸の胸像が置かれている。