動作が美しい、立ち姿が美しい、表情が美しい・・・これらはどこから生まれるかというと客観性から生まれると思っています。客観的であるというのは、意識的であるとも言えます。
舞踏家の動きに美を感じるのは指先までしっかりと意識が通っているから。動きの一つ一つに意味があり自分がどういう動き、姿勢をしているかを常に意識して(客観視して)います。
普段姿勢が悪く猫背になっていたり、左右に重心が偏っている人を見ると、その人の生まれ持った体質もあるのでしょうが、自分自身に対して”意識的でない”印象を持ちます。自分の姿勢や動きに関して常日ごろから無頓着な感じです。自分自身に対して意識的である、客観視出来るというのは、生まれ持っての性質もありますが、もちろん本人の努力でも身に付きます。
普通、人の意識は外部の刺激に影響されて、あちこちに飛び回ります。典型的なのは、子供ですね。一時もじっとできず、興味を引くことに意識を持っていかれてしまう。子供の場合はそれが自然な姿ですから、少しも問題はないです。
成人すると飛び回る意識をコントロールして、一点にフォーカスする能力が求められます。これを”集中力”と呼びますよね。例えば、座禅などでは、意識を呼吸に集中させたり、動禅では歩く際の足の裏の感覚に集中させたりしますが、これらも飛び回る意識を自分の元に連れ戻している訳です。
意識がよそに出かけっぱなしで常に外部の刺激を求めている人を”落ち着きがない”と表現します。逆に、意識がお出かけせず、内面にあるソファーに意識がゆったり座っているような人は”落ち着いて”見えます。意識が飛び回らず、我が家に帰っている人は、品があり、他人を引き付ける磁力を持ちます。そういう人は自然と自分の動きや姿勢、考え方等に客観性が出てくるため、例え、だらけて居てもどこか品を感じさせるようになります。意識は食べ方、話し方、表情、他人との付き合い方・・・・全てに影響します。
よく女性向けの本で、(最近は男性向けも多いが)”自分を磨く”とか”品のある女性(男性)になる方法”等のタイトルを見かけますが、内容は本を読めだの、映画や音楽で感性を磨くだの、旅に出ろだのと書かれていますが、僕の意見では”あまり関係ない”です。一番の問題は”意識的であることが習慣化されているかどうか”ですから。
それがあれば後は自動的に品が出てくるし、魅力も増してきます。もちろん仕事の仕方にも良い方向に大きく影響してきます。
元プロゴルフツアーの宮里選手は、5分間かけて極度にゆっくりとスイングをする練習をしていたと聞きます。自分のクラブヘッドがどこを通るかに”意識的に”なるために。こうなると禅と変わらないですね。彼女のプロとしてのマナーや態度は海外でも高く評価されていたそうですが、彼女の場合ゴルフを通して客観性を身に着けていったのだと思います。