『第一章』
【祖父・岸信介】
1960年6月、岸信介政権は新安保条約を発行。それまでの安保条約では、アメリカは日本に基地を置くこと、日本国内で内乱が起きた場合、日本政府から要請があれば米軍が出動することなどが定められていた。これでは、日本はただアメリカによって半ば占領されているようなもので、メリットがなかった。
岸は、新安保条約は日米がお互いの安全保障をはかるために協力を深めるとした。つまり、日本に何かあったら米軍が出動して日本を守ることを定めたのだ。
その代わりに、日本は、基地使用について日本側が発言できる仕組みを考えていた。これを持って、対等な相互条約としたのだ。
しかし、この相互条約が「アメリカの戦争に巻き込まれる」根拠になると思い込んだ民衆が激しいデモを行い、いわゆる60年安保闘争に発展。
「アンポ反対!」を叫んで国会議事堂にまで乱入する。参加者の多くは、なにが悪いのかよく分かっていなかったとのちに語っている。
岸邸には「アンポ反対!」を連呼する民衆が連日押しかけ、当時5歳の晋三はその意味も分からず、「アンポはんたい!」と真似して言うと、母・洋子に「アンポさんせいでしょ!」とたしなめられる。
そんな晋三を岸は穏やかに見守っていたという。
新安保条約の発効をもって、岸は退陣した。