屠殺場の奥深く、鉄の枠に首を固定された一頭の牛が静かに立っていた。
その大きな瞳には、恐怖や混乱ではなく、どこか悟ったような深い悲しみが宿っている。
まるで自分の運命を理解しているかのように、逃げようとも暴れようともせず、ただ静かに時を待っていた。
牛は人間が思う以上に賢く、感情も豊かだという。
幼い子どもほどの知能を持ち、仲間との絆や別れの痛みも知っている。
この牛もきっと、遠く離れた牧場や仲間の姿を思い出しているのだろう。
その瞳を見つめた瞬間、胸の奥が締め付けられる。
命を奪うという行為の重さと、彼らの中に確かに存在する「生きる意志」。
何も言わず、ただ静かに見つめ返すその視線が、人間に問いかけているようだった――
「本当に、これがあなたたちの望む世界なのか」と。
人口増大と共に、畜産の在り方も人間優先の工場式畜産へと変貌し生き物への尊厳など誰が重んじようか。
詭弁のように「感謝して食べる」を都合のいい免罪符にして、フードロスは命を物のように扱い、無駄に棄て、反省の欠片も見えない現代社会。
環境破壊と気候変動は人間の奢りに対する当然の報いであろう。
人々は個々が今何をすべきかすら考える思考能力を持ち合わせず、発達したAIに奴隷のように人間自ら使われる道を歩んでいる。
人間とは実に滑稽な生き物である