かつて今治周辺が「道(どう)」とよばれていたが、これは律令制のもとで地域区分や交通路の位置関係を反映した呼称であり、人や物の流れを基準に名付けられた可能性が高い。ここから、今治市が海事都市と言われる理由が見えてくる。古代に「道」と呼ばれた今治周辺は、人や物資が行き交う交通の要衝であり、特に瀬戸内海の海上交通の結節点として重要な役割を担っていた。大小の島々が連なる海域は天然の航路となり、潮流や風を読みながら船が行き交う海の道が発達したのである。こうした歴史背景のもと、今治は船運や造船の技術を発展させ、近代以降は造船業や海運業が盛んな地域へと成長した。現在でも国内有数の造船企業や船主が集まり、「海のまち」としての性格を色濃く残している。古代の「道」としての役割が、現代の海事都市・今治へとつながっている。