前回祖母の教えの話を書いたので、今回は祖父と祖母のエピソードを紹介しようと思います。
祖父と祖母が結婚したのは戦時中でした。
結婚後二人は満州に渡ることになったのですが、具体的には黒竜江省のハイラルという場所だったと聞いています。ロシアとかモンゴルに近い場所で、ゴビ砂漠も近かったようです。
祖父は日本での人間関係やしがらみが嫌で、中国で骨を埋めるつもりだ・・・と言っていたと聞きます。
そして、実際にそうなってしましました。
祖父はハイラルで歯医者(軍医)として働きました。僕の母はハイラルで生まれたのですが、祖父は母が生まれて3週間後に亡くなりました。
その日、祖父は友人と船で釣りに出かけました。おそらく、黒竜江かその支流であったと思います。祖父が向かった先は”魔の淵”と呼ばれ、船の事故の多い場所だったそうです。
祖父と友人の乗った船は、そこで渦に巻かれ転覆。二人は泳いで岸を目指しました。が、寒い時期で服を着こんでおり、とても泳ぎにくい状態だったようです。
友人の方は命からがら岸にたどり着きました。祖父はもう少しで岸に着きそうなところまでは来ていたのですが、そのまま沈んでしまいました。
沈むとき、友人に向かって軽く手を挙げたように見えたそうです。おそらくは、水温の低い時期でもあり、低体温症で体が動かなくなったのではないでしょうか。
母が生まれてから祖父が死ぬまでの間に、祖父は3人の子供と夫婦の写真を撮ると言って聞きませんでした。祖母は写真が好きでなく乗り気ではなかったのですが、
お陰で母親と祖父が一緒に写った写真が一枚だけ出来たのでした。
祖父は色々不思議な体験がある人でした。よく、祖母から聞かされていたのは、まだ祖父が若いころの話。
知人の保証人になったため、借金を背負って苦労していた時、部屋の中をぐるぐる歩きながら、これからどうしたものかと悩み考え込んでいました。
苦しいがそれでもなお生かされている。飯を食うことができ生かされている・・・そのような想念が浮かんだ時、突然、自分の意志とは関係なく体が動き、正座をし、手を畳に付き、
「南無阿弥陀仏!!」の大音声が三度自分の腹からほと走り出たそうです。
そういう部分のある祖父でしたから、自分の死期を薄々悟っていたのか、それとも戦時中でもありいつ死ぬか分からないという気持ちがあったのか・・・・
水難事故で突然亡くなったにもかかわらず、既に遺書が用意されていました。
僕も一度祖母からその遺書を見せてもらったことがあります。
そこには一言だけ書かれていました。 ・・・南無阿弥陀仏・・・・。