【辞任】
政権の末期には、ウイルス性大腸炎も併発するに至り、命の危険すらある状態であった。思い詰めた秘書たちは、「このままでは総理が死んでしまう」と涙ながらに辞任を懇願したが、安倍総理は続投しようとした。
しかし、「このような状態では総理の職責を果たせない」と、苦渋の決断を下す。
9月10日、内閣改造後の所信表明演説を行うも、その2日後に辞意を表明。政治家として、病に冒されていることは弱さを露呈することになるため、本当の理由は明かさずに辞めたことから、政権を無責任に投げ出したと、国内外からの批判に晒される。
後に病気のことを明かすと、今度は「お腹が痛くて総理を辞めた」と揶揄された。「育ちのいいお坊ちゃん」というマスコミによって植え付けられたイメージに、このフレーズは馴染みやすかった。
安倍晋三は終わったと、ほとんどの人が思った。そして、多くの人が離れていった。
戦後レジームからの脱却を目指した安倍晋三氏は、こうして政治の表舞台から消える。
この第一次安倍内閣を、森元総理は次の様に評した。
「普通の内閣が5年かけてやる仕事を、安倍政権ではわずか1年の間に、いくつもやった」
国のために文字通り命懸けで仕事をした安倍晋三氏を、多くの野党議員、マスコミ、そして国民は、石を投げつけて罵倒し、その座から追いやった。