一般社団法人 全国個人事業主支援協会

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  • 拉致を認めて被害者を帰国させたい日本と、何とか経済援助を引き出したい北朝鮮。

    会談が始まると、北朝鮮側は、拉致など存在しないという姿勢で来た。にべもない。

    昼休憩に入り、控え室で話し合う日本側だが、この時のやり取りが、安倍晋三という名前を広く世に知らしめることになる。

    部屋には盗聴器が仕込んであることを見越した安倍官房副長官。わざと大きな声で、

    「総理、向こうが拉致を認めて謝罪してこないなら、テーブルを[…]

  • 父が亡くなり、政治家となった安倍氏は、森内閣、小泉内閣で官房副長官、幹事長、そして官房長官として出世を果たしていく。

    2002年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝。これに官房副長官として同行する安倍氏。

    この時、福田康夫官房長官や外務省の田中均アジア大洋州局局長に、この問題から蚊帳の外にされるなど妨害されながらも、怯むことはなかった。

    また拉致問題に取り組む安倍氏に、妻の昭恵夫人は、「危険な目に遭ったらどうする[…]

  • 【第一次政権誕生前】

    父の死後、政治家になった安倍晋三だったが、その名が日本中に轟いたのは、2002年の小泉訪朝においてであった。

    安倍氏が拉致問題を知ったのは1988年、まだ秘書官時代である。

    拉致被害者の一人である有本恵子さんが、命懸けでポーランド経由でご両親に手紙を送ってきたのだ。当時は、拉致問題など存在しない、陰謀論の類の話でしかないと考えられていた時代である。

    有本さん夫妻は、これを社会党の土[…]

  • 【父・安倍晋太郎】

    成蹊大学を卒業し、アメリカ留学を経て神戸製鋼所に就職した晋三であったが、ある日父・晋太郎から「明日から秘書になれ」と言われる。

    「そんなすぐに辞められるわけないでしょう!」と断るも、残務処理を同時進行で行いながら、父の秘書として働くことになる。

    政界のプリンスと呼ばれ、次期総理として大きな存在感を持っていた安倍晋太郎は、親友である竹下登に、先に首相の座を譲る。

    そしてソ連を訪問した際[…]

  • 『第一章』

    【祖父・岸信介】

    1960年6月、岸信介政権は新安保条約を発行。それまでの安保条約では、アメリカは日本に基地を置くこと、日本国内で内乱が起きた場合、日本政府から要請があれば米軍が出動することなどが定められていた。これでは、日本はただアメリカによって半ば占領されているようなもので、メリットがなかった。

    岸は、新安保条約は日米がお互いの安全保障をはかるために協力を深めるとした。つまり、日本に何かあった[…]

  • 国際戦略研究の世界的権威であるエドワード・ルトワック
    「私は世界各国の首脳やトップに対して、定期的にアドバイスを行なっているが、安倍晋三というリーダーは、そうした世界のリーダーたちとはさらに別ランクの人間であると本心から思った」

    アメリカ 前大統領ドナルド・トランプ
    「安倍氏には独自の、しかも飛び抜けた統率力があり、素晴らしい祖国である日本を愛し大切にしていた。彼のような人物は、もう二度と現れることはないだろう」[…]

  • 台湾の発展に尽くした日本人が多くいましたが、今回はこの人物。

    ●岡本要八郎

    日本では、いや世界で、秋田県の玉川温泉にしかないとされるラジウム鉱石だが、これを台湾の北投(ペイトウ)で発見したのが岡本要八郎。弟子たちは「岡本石」と名付けましょう、と提案するも、「私の名前など使わないで、土地の名前を使いなさい」と言い、北投石と名付けられ、今でも北投温泉郷(台北市北部)としてその名を残す。

    台湾旅行のツアーに参加した[…]

  • 森喜朗元総理が、日本維新の会のパーティで「(ウクライナの)ゼレンスキー大統領は、大統領として多くのウクライナの人たちを苦しめている」と発言したことが問題視されているようです。

    個人的には、その通りじゃないか!と思いますが、お花畑に生きる左翼の人たちが騒ぐならいざ知らず、保守派の論客たちも問題視しています。揃って「悪いのはプーチン、それ以外はあり得ない」という視点からしか見ようとしません。

    ロシアがウクライナに攻め込[…]

  • 台湾の発展と日台関係の深化・進展のために尽くした両国の人物をご紹介するシリーズ、第四回目。

    ●磯永吉

    農学者の磯だったが、台湾にはインディカ米しかなく、台湾の風土に合った美味しい米を作るために品種改良に取り組む。結果30年の歳月をかけて完成したのが蓬莱米であった。日本では米騒動が起きるなど食糧事情が逼迫していたため、台湾からの蓬莱米の輸出は大きな支えとなった。

    台湾ツアーの時のガイドさんの祖父は、大変な親日家[…]

  • アメリカによるウクライナへの武器援助により、ウクライナは粘っています。

    これを見て、援蒋ルートを思い起こす人は多いと思います。

    かつて日本は蒋介石の国民党軍と全面戦争(支那事変)を展開して連戦連勝でしたが、アメリカが裏から蒋介石に武器援助をしていたことで、敵はなかなか参ったしませんでした。

    アメリカは何も善意で国民党軍を救おうとしていたわけではなく、戦争相手の日本を消耗させ、いずれ直接対決で潰してやろうと企図[…]

  • 太陽光発電の売電には2種類あります。

    10kw以上のシステムだと全量買取、未満だと余剰買取り(使って、余った電気を売る)になります。

    屋根に設置する太陽光パネルの目安です。

    システムの大きさ、面積の目安、設置費用、年間売電料をそれぞれ挙げます。

    10kw→40坪→300万円→30万円/年

    5kw→20坪→150万円→15万円/年

    2.5kw→10坪→75.5万円→7.5万円/年

    これを[…]

  • 台湾の発展と日台関係の深化・進展のために尽くした両国の人物をご紹介するシリーズ、第三回目。

    ●明石元二郎

    日本の諜報工作の歴史上、最も有名なのが日露戦争中にロマノフ王朝を裏(欧州)で揺さぶって日本の勝利に貢献した明石元二郎であるが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」と言って称えたほどであった。その14年後、第7代台湾総督に就く。

    総督在任中は台[…]

  • ユダヤ人を追い出したスペイン帝国は衰退。

    逃れたユダヤ人が逃げ込んだポルトガルは大繁栄。

    しかしユダヤ人迫害を条件に王室間の結婚をスペインが提示し、ポルトガルはこれを飲んでユダヤ人を迫害。

    逃れたユダヤ人が逃げ込んだのはスペイン領であったオランダ。そしてオランダは独立して大繁栄。ユダヤ人が出て行ったポルトガルは衰退。

    しかしオランダでもユダヤ人を迫害を開始し、逃げ込んだ先はイギリス。ユダヤ人のディズレー[…]

  • 太陽光発電の最も発電するシーズンは?

    太陽光発電の最も発電する温度は?

    太陽光発電の最も発電する方角は?

    太陽光発電の最も発電する角度は?

    今回は、太陽光発電が最も発電する時間帯について。

    画像は我が家が保有する野建ての太陽光発電所の発電データ。

    見ての通りで、ゴールデンタイムと呼ばれている時間帯があり、それは10:00〜14:00と言われています。

    この時間帯に雨が降るとガッカリしま[…]

  • 台湾の発展と日台関係の深化・進展のために尽くした両国の人物をご紹介するシリーズ、第二回目。

    ●後藤新平

    日清戦争後、陸軍次官兼軍務局長の児玉源太郎の推薦により、帰還兵の検疫業務を務める。これを見事に成功させ注目を集める。後に関東大震災後の、世界最大規模となる帝都復興計画を行ったことでも知られる後藤だが、台湾では以下の政策を実行した。

    まずは土地調査など徹底した調査事業を行った上で、ゲリラ投降策、阿片漸禁(徐々[…]

  • 私は母の実家のある花巻市で産まれましたが、現在、その母の生まれ育った家は空き家となっています。空き家問題、日本中で深刻な問題になっていますね。

    さらに、その家の前には農地が広がっています。当然、これも荒地となっています。このような土地に太陽光パネルを設置できたらどれだけいいかと思いますが、残念ながらここにパネルを並べることはできません。なぜなら、ここは農地は農地でも第一種農地に分類され、この第一種農地は農業以外に使っては[…]

  • 私の自宅も太陽光発電を設置していますが、朝8:00くらいから作業を始めて、まだ明るい時間帯に工事は終了しました。オール電化の工事も併せてやってもらいました。

    明るい時間帯に工事を終わらせる必要があるので、手際良く作業をしてくれます。なぜや「必要がある」かと言うと、ちゃんと発電しているか確認するためです。

    弊社が依頼する業者は実績のある優良業者のみなので、しっかりと、素早く片付けてくれますが、これが経験の少ない(実績[…]

  • 1895年から50年間、日本が統治した台湾。その発展のため、大きな費用と貴重な人材が投じられたわけですが、その結果、台湾は劇的に発展したわけです。

    本業とは関係ありませんが、台湾の発展に尽くした日台の人物をご紹介したいと思います。

    一人目は【児玉源太郎】

    第4代台湾総督。
    日清戦争の後、帰還兵23万人の検疫という大事業を後藤新平とのコンビで成し遂げる。樺山資紀、桂太郎、乃木希典と着任してきたがほとんど実績を[…]

  • 前回、太陽光発電は発電の適温が20〜30℃であるのに対して、夏の屋根の温度は60〜70℃に達するので発電量が落ちるということについて書きました。

    この対処方法として、例え新築住宅であっても屋根と一体型にせず、屋根の上に後付けで載せるという手段が挙げられます。既築住宅はどちらにしてもこの方法になりますね。

    そうすると、屋根とパネルの間をピューピューと風が通り、パネルの温度を下げてくれます。真夏でも、超高温にならずに済[…]

  • 面積、方角、温度、角度

    この4つがキーワードになります。

    最初の「面積」は当然ですよね。広ければ広いほど枚数を載せられます。

    「方角」ですが、南側を100%とすると東西で75%程度、北側になると40%程度まで落ちます。通常は、北側には設置しません。

    次に「温度」ですが、適温は20〜30℃。夏場の屋根は60〜70℃に達しますので、発電量はかなり落ちます(対処方法はあります)。

    最後に「角度」ですが、[…]

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