一般社団法人 全国個人事業主支援協会

COLUMN コラム

この間、あるプログラマーのブログ(※)が話題になりました。
この人は某企業のリモートワークシステムを短期間のうちに作り上げたという業界では有名な天才プログラマーなんだそうです。
ブログの中で彼は自身のプログラミングスキル、つまり一日で3000行、多い月で10万行という圧倒的な量のプログラミングを生産する、
その仕事の秘密を披露しています。なかなか興味深い内容だったので少しご紹介しましょう。
彼が提示した方法はこの三つです。

①努力しないこと
②論理的に考えないこと
③頭を使わないこと

まず①についてですが、結構腑に落ちるところがあって、私の周りを見渡してみても、
いわゆる成果を上げている人達にはこのタイプが確実に存在します。
この人達を見ていると、なんだかとても自然体なんですよね。無理をしていない。
仕事そのものを楽しんでいるし、やるべきことを淡々とこなしているだけという感じがする
対して、成果が芳しくない人達は、とても苦労して仕事に取り組んでいるように見える。
余裕がないし、なにか歯車が噛み合っていないようでもある。でも勉強や努力は怠らないし、優秀な人達ではあるのです。
この違いは何なんでしょうか。
単純に年齢や経験値だけでは説明がつかないように思います。

そして②、③ですが、私がこのブログを読んだときにぱっと頭に浮かんだことがありました。
なんか同じようなことを誰かが言っていたぞと思ったのです。
それは、作家の川上未映子さんと村上春樹さんが対談していた本(※)の中でのことでした。
ここで二人の作家は、一部の小説家はその作品の筋をあらかじめ用意しないでノープランで執筆していくのだと述べています。
さらに、考えながら執筆してはダメである、考えると作品が作り物っぽくなって面白くなくなるのだそうです。

なんだか冒頭の天才プログラマーが言っていることと似ていませんか。

私なりに彼らが言っていることを解釈すると、
頭を使わないとか論理的思考の放棄っていうのは、つまりは無意識的になるということだと思うのです。
無意識的になると作業負荷が下がる。負荷が下がれば、ずっと仕事がやり続けられる。
だから結果として生産量が飛躍的に上がる。
こんな状態だと思います。
要はいちいち頭で処理しないで、身体に勝手にやらせておけみたいなイメージですね。

しかし、ここで一つの疑問が出てきます。
まったく何の思考や計算もなしに知識労働ができるものなのでしょうか?
たぶん、プログラミングとか執筆行為は一定の文法やコードがあるため、それを一種の型として始めにしっかり身につけておけば、
慣れてきてある程度は無意識的に仕事を進められるのではないでしょうか。
ちょうど外国語を習得した人が、その習熟度に応じてどんどん無意識に会話ができるようになっていくように。
あるいはサッカー選手がパスやトラップやキックなどの個々の高い技術を、早い展開の試合の中で、
相手ディフェンスのプレッシャーがある中でいともたやすく披露できるように。

とまあ、こんなふうにやれば、もしかしたら凡人でも天才プログラマーのように膨大な成果を上げることができるのかもしれない。
いや、なかなか難しいですね。
こういうのって言うは易しですが、そんな簡単にできるものじゃないですから。
こういうのをさくっとやっちゃうところが才能のある人達なのかもしれません。
もしこのブログを未読の方がいらしたら是非読んでみてください。
なかなか興味深いですよ。

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柳 明宏

ネットワークエンジニア。

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