日本人なら誰もが知ってる夏目漱石。
『吾輩は猫である』とか
『坊っちゃん』なんかで有名な作家ですが
作家になる前は英語の先生でした。
今でいう高校になるのかな?
16歳くらいで入った学校は、
英語以外の授業も英語で行われていたそう。
というのも、教科書が英語しかなく、
授業も英語でやるしかなかったから。
英語が大嫌いだった漱石。
でも英語を学ばざるを得ない状況になり
大学も英文科へ。
そして、その後英語教師になりました。
当時は大変だったのだと思うけど、
今から思えばとても恵まれた環境!
英語で学ぶって、英語を身につける
近道だと思ってます。
そんな漱石が120年くらい前に
英語学習法として多読を進めていました!
“英語を修むる青年はある程度まで修めたら辞書を引かないで無茶苦茶に英書を沢山読むがよい、少し解らない節があって其処は飛ばして読んでいってもドシドシと読書していくと終いには解るようになる、又前後の関係でも了解せられる、其れでも解らないのは滅多に出ない文字である、要するに英語を学ぶ者は日本人がちょうど国語を学ぶような状態に自然的習慣によってやるがよい、即ち幾変となく繰り返し繰り返しするがよい、ちと極端な話のようだが之も自然の方法であるから手当たり次第読んでいくがよかろう。彼の難句集なども読んで器械的に暗唱するのは拙い、殊に彼のようなものの中から試験問題等出すというのはいよいよつまらない話である、何故ならば難句集などでは一般の学力を鑑定することは出来ない、学生の綱渡りが出来るか否やを視るぐらいなもので、学生も要するにきわどい綱渡りはできても地面の上が歩けなくては仕方のない話ではないか、難句集というものは一方に偏していわば軽業の稽古である。試験官などが時間の節約上且つは気の利いたものを出したいというのであんな者を出すのは、ややもすると弊害を起こすのであるから斯様なもののみ出すのは宜しくない。”
ちょっと言い方は乱暴ですが、
きちんと基本を学んだ上で
辞書など引かずに
繰り返し繰り返し読み
頻繁に音読をする
(但し、考えながら読むべきものは黙読で!)
と言ってます。
時代を経て、
多読できちんと効果を出すためには、
読む本は、レベルに合っていて理解可能であること
読んで面白いと思えるものであること
学習者用に作られた不自然な英語表現ではなく本物の英語であること
と、綺麗にまとめられましたが、
効果を出すために、
私は多読もコーチングで伴奏します🤗