学生の頃のテストのための詰め込み教育は、ある側面としては国民全体の知識レベルを底上げするのに役立っているかもしれない。
その反面メンタルへの弊害もあり、それはとことん人生に影響してくる。
そこを認識しておいたほうが良い。
まずは正解があって、そこに100%合わせるという思考。
マニュアルに沿う優秀な労働者を育成するには良いかもしれないが、臨機応変に状況に合わせたり、ときには創造的になったりする必要がある仕事環境では足かせにしかならない。
テスト教育の弊害を加速させるような親の指導が関わるとさらに悪化する。
親が子供のテストの点数が低いことを毎回責めると、子供の中に過去や現在の自分を責める思考が醸成される。
これが人生を狂わせる。
自分を責める思考があると、チャレンジして失敗したときに心が焼かれて痛みを発する。
これが本当に自身を苦しめる。
何かにチャレンジをしたらかなりの確率で失敗をするのだから、心は焼かれ続けることになる。
旗から見てどんなに小さなことでも、自身の中の焼かれる痛さは変わらない。
そうなると、失敗の痛みに耐えられずチャレンジを避け、引きこもりになってしまうかもしれない。
もしくは、失敗を隠す方向に思考が醸成されてしまったら、自分の失敗を隠したり認めない、という性格になってしまうかもしれない。
そこから脱却するためには、失敗をしたとしても「この失敗を次にどう活かすか?」という思考が必要だ。
失敗と慣れ親しむことは出来ない。
どこまでも最低限の痛みはついてまわる。
しかし、失敗したら出来るだけ早く未来に目を向けられるようになることは、人生の助けになる。
自分が大人になったら、自分の中にいる子供に対して不足している教育をやってあげる必要がある。
「答え合わせだけの人生なんてない。チャレンジの連続だ。失敗したらそれを次に活かすことを考えよう」
と繰り返し自己教育をしていく。
地道だけど、仕事力の底上げをしつつ人生を好転させるには、こういう思考とそれに伴った行動を積み重ねていく必要があるのだ。