前回に続いて祖母のエピソードです。
祖母からよく聞かされていた話でいまだに印象深いものがあります。
祖母が結婚後祖父と共に満州に渡った話は前回書きました。終戦直前に祖父が黒竜江で釣船が転覆し、命を落としたことも。
祖父は軍医として満州には赴き、現地の日本人たちと暮らしていました。当時日本人は召使として中国人の子供を雇っていたそうです。女の子は”クーニャン”男の子は”ショーハイ”と
呼んでいたとのこと。(発音に関しては正しいかどうかちょっと自信ないですが)
満州は日本の植民地であったため現地の日本人たちは召使の子供を”不潔な子供”という目で見ていた部分があり、便所掃除のような仕事をやらせ、
自分たちの赤ん坊の世話などはさせず、触らせもしなかったようです。
祖母は元来、人を差別するような事が嫌いで、クーニャンやショーハイに代わって便所掃除をしたり、赤ん坊の面倒を見てほしい時は、彼らに抱っこさせていました。
召使の子供はとても嬉しそうにしていたそうです。
暫くの間は、異国の地ではあるものの祖父の人徳もあり、落ち着いた幸せな生活が続きました。
終戦も近くなったころ、僕の母が生まれ、その3週間後に祖父は死にました。折悪く戦況が悪化し、祖母は生まれたばかりの母と母の二人の兄を連れて
満州から脱出しなければならなくなります。
祖母が住んでいた黒竜江省のハイラルはロシアやモンゴルに近い僻地であったため、脱出は容易なことではありませんでした。
ある日祖母と三人の子供はハイラルの山奥の小屋に避難していました。あたりは鉄条網が張られ、夜には狼や獣がうろつくような場所でした。
夜も更けたころ、突然、窓をドンドン叩く音がします。何事かと窓を開けると、そこに見知らぬ中国人の男が立っていました。
男は何も言わず、身振りで「そこをどけ!」と伝えます。
すると彼は持っていた大きな袋から魚の干物や保存食を次々に窓から投げ入れ、また何も言わずに去って行きました。
深夜に狼がうろつく、あの山の中をやってくるのは命がけのことでした。
その時はその男が誰なのか分かりませんでしたが、後にその人は祖母がかつて少しばかり親切にした”ショーハイ”の父親か兄であろうと思い当たります。
その男にはショーハイの面影があったそうです。
祖母はその後大変な苦労を重ね、帰国します。帰国後もずっとショーハイとその家族を忘れられず、
いつかもう一度再会して、命懸けで食料を届けてくれたお礼が言いたいと思っていました。
残念ながら祖母の願いはかなえられる事はありませんでしたが、
学校の校長や政治家どもがのたまう薄っぺらな”道徳”でなく、なまものの”生きた道徳”として僕の心に残っています。